先日5月6日に、一般社団法人日本環境測定分析協会から、「名誉会員証」が届きました。同協会は、1974(昭和49)年に当時の通商産業省と環境庁との共管のもと誕生した社団法人で、日本で唯一の環境測定分析機関による団体です。
昭和46年当時はまだ公害問題が深刻で、汚染の実態を数値でつかむことが急がれた時代でした。四大公害と言われた水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病ならびに新潟水俣病等は、すでに原告と被告との話合い入り、山場を超した時代とも言えます。しかし、全国における大気汚染、水質汚濁あるいは土壌汚染などの実態把握は始まったばかりで、その意味で県や市などが設立した財団法人や社団法人の測定分析機関、さらに民間の測定分析機関が、国の環境行政に大きく貢献し、日本の環境(公害)問題の改善の一翼を担ったことは間違いありません。
日本の環境測定分析機関の成立は、計量法に基づく環境計量士と様々な汚染物質を測定分析できる設備、そしてフィールドで汚染実態調査や環境試料(大気、水、土壌等)の採取ができる機関の存在が欠かせませんでした。公害国会が開催され、重要環境14法案が成立したのが1970(昭和45)年で、この後、日本では第一次ベンチャー企業ブームとして、民間の測定分析機関が多く誕生しています。多くの環境法律が制定されても、その法律の効果や成果を上げるには、汚染の実態を調査したり、試料を採取し分析したりする機関の存在が不可欠でした。公害問題が新たなビジネスチャンスと見て、自然発生的に環境測定分析会社があちこちで誕生しました。環境計量士と環境計量証明事業所制度が誕生する以前に、データの捏造問題などが起こったことから、それまでの無資格事業が資格事業となったという訳です。
協会の存在は、協会に所属する事業者(会員)の技術レベルの向上や法律への理解を高めるために、様々な委員会・勉強会を組織し、互いに切磋琢磨し、環境測定分析機関としてのあり様について啓発し、大きく貢献してきたと言えます。関係各省の皆様にも、法律が改正されるごとに、その情報について協会誌や講話等を通して紹介・指導いただき、行政と測定分析機関の二人三脚で、今日の日本の環境測定分析体制が確立されたと言えます。
また、協会のISO(9001、14001、17025等)への対応は、行政よりむしろ早い動きを見せたと自負しています。私の会長時代{1995(平成7)年〜1999(平成11)年}、測定分析データの信頼性確保には、国際的な流れに対応できることが不可欠だと考え、これらを3点セットとして各事業所に認証取得に努めるよう声掛けをした記憶があります。協会会員の多くは中小企業ですが、ISOの認証取得は費用的にも大きな負担だったのではないかと今にして思います。しかし実際には、協会会員の殆どがISOの認証取得を終えており、他の業界団体と比較しても、きわだって高い取得率を誇っています。ISOの認証取得のみならず、米国やヨーロッパの測定分析機関の視察に基づいた海外情報も、積極的に協会誌や他の雑誌に、また自分の著書で紹介するなど、業界全体のために動いていた自分を思い出します。