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2019.01.18

自由主義市場経済を推進していた国々が、中国に対して大きな過ちをしたこと

オーエスラボ株式会社 代表取締役


1.はじめに

冷戦時代は、米国の自由主義陣営とソビエト連邦を中心とする社会主義陣営とに分かれていました。しかし、1989年のベルリンの壁の崩壊により、それまで12億人の自由主義市場経済が一気に40億人に膨れ上がることが予測されました。しかしこの時期の中国経済はまだ発展途上にあり、多くの自由主義市場経済国はあまり警戒していなかったように見受けられます。

中国は、1978年の改革開放政策に基づき、深圳を経済特別区に定め、外国資本の流入を許し、経済発展を急ぎました。その後は次々と経済特別区を指定し、中国自らの経済発展はもとより、先進諸国も自国の経済発展に中国を利用する形で推移するようになりました。この段階では、先進諸国は中国が社会主義国であることを忘れたかのように、世界経済の仲間として受け入れた感さえありました。

その中国は1990年代初頭に、社会主義資本経済を推進すると世界に喧伝しました。 ご承知の通り、1995年にWTO協定が発行され、世界はこのルール基づき秩序ある資本主義経済を推し進めることで、効率的な世界貿易が期待されました。中国も2001年には同制度を受け入れています。新興国ブリックス(BRICs)という言葉が出たのも、1990年代中庸でした。中国は着実な経済発展を遂げ、2010年には日本のGDPを超えて世界第2位の経済大国へと登りつめました。

ここで筆者の私見ですが、日本を含む世界の先進国が、何ら条件なしに中国を資本主義経済陣営に引き入れたことが、大きな間違いだったと考えています。資本主義の原点は「比較優位」と「比較劣位」を巧みに利用し、経済的利益を最大に上げることです。

資本主義経済の積極的な展開の結果、中国は驚異的な経済発展を果たし、世界貿易の枠組みに組することを受け入れました。しかしこの時、自由主義世界の陣営は中国の社会主義について何ら注文もつけず、資本主義経済社会に受け入れたことは、筆者は大きな間違いだったと理解しています。その代表的な問題が、公害を垂れ流しながらの生産活動を、見て見ぬ振りをしてしまったことだと考えます。その結果、ワンコイン製品を代表とした安価な商品が世界中に普及する状況に至りましたが、この代償は桁違いの公害問題に繋がったと考えます。

これは、中国など社会主義経済を進めてきた国々が悪いのではなく、規制の緩やかさや安価な人件費を当てにし、中国を始めとする途上国を「世界の工場」として位置付け、自由主義市場経済の国々が利用した結果であると、筆者は考えております。
以下、戦後の日本経済発展の事例を通し、社会主義国の資本主義経済受け入れが、如何に世界に複雑な経済問題をもたらしたのかを紹介したいと思います。

 

2. 戦後の日本経済発展の背景

第二次世界大戦後、日本は1950年から始まった朝鮮戦争(b1950~53年)を皮切りに、高度経済成長期に突入しました。朝鮮戦争は約3年で収束しましたが、その後、米国はベトナム戦争(1963〜1975年)に突入しました。両戦争は、主に日本にある米軍基地をベースに進められました。言い換えると日本が米軍の兵站基地となり、それを支援するために日本企業は、兵器の修理や武器・弾薬、そして部品製造等の基地を果たしました。製造産業界は大いに活況を呈し、これが戦後日本経済の高度経済成長に大きく貢献したと言えます。戦後の日本経済は、米国の戦争に支えられたとも言うことができます。一方で、製造産業は公害対策を疎かにしたまま進められたようです。

 

3.経済発展による公害問題の発生

ベトナム戦争の最中、1960年代後半に日本と米国との間で繊維産業分野における貿易戦争が始まり、極めて厳しい状況にありました。1968(昭和43)年に米国の大統領となったニクソンは、公害教書の中で「公害を垂れ流している国が、資本主義経済に参入してきた」と、国名こそ明らかにしませんでしたが、暗に日本の世界経済社会への台頭を好ましく思わっていなかたようです。

事実、日本はすでに深刻な公害問題を抱えており、代表的な「四大公害」はすでに顕在化していました。日本はこの大統領メッセージを重く受けとめ、1970(昭和45)年に公害国会を開催し、環境保全を促進させるための多くの環境法律を誕生させています。また、1971(昭和46)年には環境庁が誕生しています。

四大公害は、日本政府が主導して解決に導いたのではなく、政府はむしろ産業界サイドに立ち、公害訴訟が長引いたのが実際です。これら重大公害問題に対して、政府が大切な関わりを持ったことと言えば、環境庁誕生後に公害健康補償法の成立に力を注いだことです。公害患者への治療や生活保障など、この法律が大きな役割を果たしました。

4.日本政府の中国公害問題への対策支援

日本は自国の公害経験により、中国の経済発展に伴う環境破壊を未然に防止してもらいとの考えから、日中国交正常化(1972年)の10年後に、「日中友好環境保全センター」の設立ならびに施設整備、加えて技術支援を兼ねた人材育成支援を約束し、これを実行しました。現在は、「日中環境協力のプラットフォーム、国際環境交流のプラットフォーム、社会へ開かれた交流と研修のプラットフォーム」として利用されています。

このセンターが出来上がる前には、日本の民間レベル(NGO日中環境保全協力センター等)の環境保全協力が積極的に行われた経緯があります。残念ながら日本の経験を活かした中国への環境協力は、大きな成果を上げたとは言えない状況でした。中国の経済発展に伴い、中国の環境は大気汚染、水質汚濁、土壌汚染後等々、深刻度を増すばかりであったのが実際です。
中国への環境保全協力は日本のみならず、米国、ヨーロッパ(ドイツ、英国等)の国々からも積極的な支援が行われた背景があります。しかし筆者の知る限り、これらの支援が功を奏した状況にはなかったと記憶しています。

今や中国のGDPは世界第2位であり、蓄積された資金を環境保全に投入していることは間違いないでしょう。しかし、それ以上に軍備の拡張、すなわち兵器の開発と製造に多額の投資がされているのが実態です。
中国を世界の工場から貿易相手国にし、資本主義経済の枠組みに入れる前に、先進国は、米国が日本に公害問題で圧力を掛けたように、中国に対して大きな圧力をかけるタイミングを逸したことが、今日の厄介な中国にしてしまったと言えなくもないと筆者は考えます。

5.COP24は、中国の一路一体政策を加速させる機会を与えた

米国がパリ協定を離脱したことは、中国を喜ばせてしまったようです。2016年に発せられた中国の一帯一路政策は、開発途上国に資金支援や技術支援を通し、通商の道を拡大させようとする政策です。この政策がすでに大きな問題を発生させていることは、世界中が知るところです。スリランカは2017年、中国との債務救済取引の一環として、自国の戦略港湾の長期運営権を中国に譲渡しています。

これに類似した状況は他の発展途上国でも生じており、こうした現象を「債務ドミノ」と呼び、中国の経済支援のあり方が問題視され、一帯一路政策はスムーズには進んでないようです。
こうした背景を抱える中国は、COP24で温暖化対策を積極的に展開することを主張し、開発途上国への環境面での積極的協力を、推し進めるとの考えを示したようです。これは中国にとって千載一遇のチャンスで、形を変えた一帯一路政策が推し進められると言うわけです。

 

6.おわりに

覇権を前提に国家政策を推し進める中国について、世界のどの国がブレーキを掛けるのか極めて興味の高い要素です。うがった見方かも知れませんが、米国が取った中国との貿易戦争は、トランプ大統領が前述した要素を踏まえて仕掛けたものと見ることができるかも知れません。共産主義者による一党独裁の中国の政策は、世界の多くの人々ならびに国々が求めている形だとは思われません。

後悔しても仕方のないことですが、1989年のベルリンの壁の崩壊時が、今日の世界をもたらしたターニングポイントだったと言えなくもありません。日本の実態は米国の隷属国と言えなくもないと考えます。1970年のニクソン大統領の公害教書が、日本国を環境保全国家に変え、加えて順調に国家経済の発展を遂げさせたと考えるのは、私だけでしょうか。

この記事の著者
谷 學

谷 學

オーエスラボ株式会社 代表取締役
環境事業支援コンサルタント・経営士・環境経営士。元グリーンブルー株式会社代表取締役。日本の公害対策の草創期より環境測定分析の技術者として、環境計量証明事業所の経営者として、環境汚染の改善及び業界の発展のために邁進。2007年には経済産業大臣より計量関係功労者表彰を、2013年には経営者「環境力」大賞を受彰。50年にわたる環境問題への取組み実績を持つオピニオンリーダー。

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