企業の美醜は水をめぐる所作にあり

「ECOLOG」企画編集アドバイザー


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女の価値は髪の長さで決まるか?

女の価値、髪が長けりゃプラス10点。 男の子に間違われることしばしばだった若かりし日の私は、美人に対する妬み半分でそう考えていた。造作が美しい女性を前にすると、見た目より中身という言葉はまったくもって無力となり、理屈抜きで敗北感を抱く。それが女という生き物だ。少なくともかつての私はそうだった。相手が流れる緑の黒髪の女ならなおさらである。だって、長い髪は少なくとも1割増しで女を美しく見せてくれるのだから。。。だからといって刈り上げていた私はかなりな天邪鬼なのだろうが、とにかく、アラフォーに足を踏み入れるまでは、そう思っていた。

 

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しかし、寿命の半分近くを消費した今、寿命の残り半分を生きる人間の美しさの基準は変わるのかもしれないと思うようになっている。まずもって、どんなに美しい人であっても、造作に多少の乱れが生じることは避けられないということが理由の一つ。そうなったとき、その人が美しいと思う瞬間が、立ち姿であったり、気遣いであったり、しぐさであったりすることが増えてきた。こちらの理由のほうが大きい。所作の美しさである。

それを裏付けるようなテレビ番組を見た。夫や妻、恋人に幻滅した瞬間をインタビューしていたのだが、非社会的な行動をとった時と答える人が意外に多かった。例えば妻から夫を見た場合では、煙草の吸殻をポイ捨てするとか、喫茶店の店員に横柄な態度をとるとか言った具合だ。確かにそれは“ヒキ”まくる。そんな所作の男子を彼氏にしてはいけない、と若い女子には訴えたい。

 

トイレで表れる女の美醜

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そして、その逆もしかり。そんな所作の女子を彼女にしてはいけない。しかし、女は計算高い生き物なので、男の眼のあるところではなかなかうまくやりすごす。本性がさらけ出されるのは女だけが入れる場所、つまりトイレと浴場である。

例えば、トイレ。一心不乱に鏡に向かい顔面矯正をしている女が立ち去った後の洗面台には、幾本もの長い抜け毛。例えば脱衣場。ドライヤーで髪の毛を乾かす女が立ち去った後の床にも、幾本もの長い抜け毛。例えば浴場。水を出しっぱなしで髪を洗う女。造作が美しいだけに、所作の醜さが際立って残念なことこの上ない。

それに、これら“醜所作”は別の問題も誘引するから困ったものなのだ。洗面台に落ちた抜け毛は排水管を詰まらせたり、洗剤などがからみついて排水管の劣化を早めたり、水の汚れをひどくする。水の使い過ぎは、水を作ったり、使って汚れた水をきれいにしたりする際にたくさんのエネルギーを使わせることになる。

男子トイレや男子浴場に入ったことがないから分からないのだが、もしかしたら同じような構図があるのかもしれない。いずれにせよ、水を使う場所は男子禁制、女子禁制が多く、ようするに秘密の花園化しやすいシチュエーションであるので、水をめぐる所作には美醜がよく表れているように思えるのだ。人間の美醜は水をめぐる所作にあり。とまでは言わないが、あながち大きく外れていることはないと思う。

 

 

投資家は企業の“水”を見る

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実はこの水をめぐる所作が、人間のみならず企業の美醜の判断基準にもなりつつあるようだ。ロンドンに本拠地を置き、企業の気候変動対策に関する世界最大のデータベースを持つ非営利団体「カーボンディスクロージャープロジェクト」(CDP)は、グローバル大企業の水をめぐる所作のデータを集め、評価し、公表し、それを参考に投資家たちが投資先を選択し始めているし、日本では環境省が企業や個人のより良い楽しい水との付き合い方を「Water Style」として提案し始めているのである。

企業の美醜は水をめぐる所作にあり。とまでCDPや環境省が言っているかどうかは知らないが、あながち大きく外れていることはないと思う。 地球は表面の71%を海が占める水の惑星で、水の量は約14億㎞3もある。しかし、人間が飲める淡水はその2.6%、そのうちほとんどが地下水や南極の氷で、人間が利用しやすい淡水は淡水全体の0.001%しかない。

しかも、それは人間だけではなく、他の生物にとっても貴重な命の水なのである。企業が商品を製造したりする際に水を使いすぎたり、汚しすぎたり、水を使うための社会システムである上下水道設備を劣化させたり、使うために大量のエネルギーを消費したり、そうした水をめぐる企業の“醜所作”は、地球に、ひいては私たち一人一人に暮らしに大きく影響する。水をもって美醜を判断すると言われたら、なるほど説得力があると思うのではなかろうか。

これまでも多くの企業は、工場で使って汚れた水をきれいにする取り組みは行ってきた。法規制もされている。しかし、2015年10月21日にまとまったばかりの「CDPジャパン150ウォーターレポート2015」に紹介されているいくつかの企業の動きは、これまでの義務的行動ではなく、もっとクリエイティブである。

例えば、トイレ機器でおなじみのTOTOはトイレで流す水の量をどんどん少なくしてきたし、日用品メーカーの花王は世界で初めてすすぎ1回の洗濯用洗剤を開発し、商品を通じて一人一人の水をめぐる所作を変革した。日本コカ・コーラは製造に使った水と製品になった水と同量の水を自然に還元する「ウォーター・ニュートラリティー」に力を入れ始めたし、トヨタ自動車は淡水が汚れたり枯渇したりしないよう北米で水戦略の策定を進め、水の持続性に向き合っている。

 

 

想像力が美醜を分かつ

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これら水をめぐる所作に共通することは、製造段階、つまり企業が水を使う場面を通り越していることである。その水がどこでどのように作られ、どこでどのようにしてきれいにされるのか。あるいは、商品を通じてユーザーはどのように水を使うのか。水の来し方行く末に思いをはせていることだ。その想像力こそが、企業の水をめぐる所作の美醜を分かつ。

人間だって、洗面台や浴場を自分が使いたいように使えている瞬間だけではなく、後で使う人が心地よく使えるかどうか。あるいは、蛇口から出る水がどこから来て、使った後の水がどこへ行くのか。その想像力が“醜所作”を“美所作”に変える糸口になる。

残りの寿命の半分は、とりわけ水をめぐる所作の美しい企業の商品を選んでいきたい。廃棄物の3R活動などに熱心な企業が多いのに対し、CDPによると水をめぐる取り組みはまだ道半ばのようである。私たち一人一人の商品選択がこの状況を好転させる力を持っていると信じたいところであるが、残念ながら日常生活においてゴミほど水は意識されていない。まずはそこからである。であるならばなおさら、残りの寿命の半分で夫に幻滅されないためにも、他人の造作の美しさに妬み嫉むことはやめ、自らの水をめぐる美しい所作を心掛けたいものである。

 

 

この記事の著者

奥田 早希子

「ECOLOG」企画編集アドバイザー
筑波大学大学院理工学研究科修士課程(化学専攻)修了後、環境関係の専門新聞社を発行する株式会社環境新聞社で「環境新聞」の記者として約11年間従事。その後、フリーライター・フリーエディターとして独立し、企業情報誌の企画・編集マネジメントのほか、各種商業誌(「エコノミスト」「環境ビジネス」「環境会議」「山と渓谷」等)で記事を執筆するなど、環境分野、上下水道分野を得意とする取材記者・編集者として活動。この間、東洋大学社会人大学院経済学研究科公民連携専攻に入学・修了。同大学PPP研究センターリサーチパートナーとして公民連携分野にも活動の幅を広げている。

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