パリ協定が世界の投資・金融の分野に与えるインパクトは非常に大きい。すでに世界各地で企業や金融機関が気候変動をビジネス上のリスクとして認識し、化石燃料からの投資撤退(ダイベストメント)をはじめている。さらに、企業に情報開示を求める動きや、国や企業の訴訟リスクも高まりつつある。
落胆と希望
2015年12月12日、2020年以降の気候変動対策の国際枠組みであるパリ協定が法的拘束力を持つ文書として採択された。確かに、複雑に入り組んだ対立点に関する長い交渉を経ての国際合意成立という意味では歴史的な出来事である。しかし、手放しで喜ぶことには少々違和感を覚える。なぜならパリ協定で法的拘束力を伴って規定された「産業革命以降の温度上昇を2℃あるいは1.5℃以内に抑制する」という目標達成への道のりは遠いからだ。
実際に、パリ協定の前と後で日本政府によるエネルギー・気候変動政策は変化しただろうか?答えは否である。日本における温暖化問題に関する政府審議会などでは、パリ合意の前に行っていた議論と全く同じような議論をパリ合意後も展開している。
2016年2月8日、環境省は、石炭火力発電の新設を容認するよう方針転換した。現実的に考えて現与党政権が急激に政策変更する可能性は大きくない。 そうは言っても、パリ協定のビジネス、特に世界レベルでの金融や投資の分野へのインパクトは非常に大きいと思われる。実は、パリ協定には「低炭素発展経路に整合的な資金の流れを構築すべき」という一文がある(パリ合意第2条para.1a)。お金の流れは様々なリスクに敏感であり、大きなリスクのひとつとして気候変動や化石燃料がビジネスの世界で認識されたことの意義は大きい。 また、既得権益に影響されやすい行政や立法ではなく、司法の分野での展開も期待される。
実は、パリCOP21の前から様々な気候変動関連の訴訟や裁判が世界中で起きており、パリ協定は、これらの動きを大きく加速すると予想される。 このような落胆と希望が交錯する状況の下、本稿ではパリ協定の国内外に与える影響について、特に化石燃料会社からのダイベストメント(divestment:投資撤退)、企業の情報開示、国や企業が持つ訴訟リスクの側面から考える。
ダイベストメント
ダイベストメントは2011年に米国の大学から始まり、現在では、多くの企業、金融・保険機関、年金基金、投資家、地方自治体、財団、教会などが参加している。2015年12月時点で、このダイベストメントに賛同して参加している組織の数は世界中で500を超え、それらの保有資産合計額は3兆4000億ドル(約420兆円)に達する。この数字は、2014 年9月時点から比較すると70倍である[2]。
下記は、主な賛同組織である。
「政府年金基金」:ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、オランダ、カナダ、オーストラリア
「州年金基金」:米カリフォルニア州
「保険会社」:アクサ、アリアンツ、アビバ
「大学」:スタンフォード大学(米)、ジョージタウン大学(米)、カリフォルニア大学(米)、ハワイ大学(米)、オックスフォード(英)、グラスゴー大学(英)、シェフィールド大学(英)、ルンド大学(スウェーデン)
「銀行」:バンク・オブ・アメリカ、ING、シティ、クレディ・アグリコール、香港上海銀行
「都市」:オスロ、ストックホルム、アムステルダム、ベルリン、ロンドン、メルボルン、ウプサラ
「財団」:ロスチャイルド財団
「企業・業界団体」:ガーディアン・メディア・グループ、英国医師会
「教会」:世界教会協議会、ルター派世界連盟、ヘッセ教会(ドイツ)、ナッソー教会(ドイツ)
ダイベストメントの影響の定量的な評価に関しては議論があるものの、このような動きの原因と結果の両方として化石燃料会社が持つ巨大な座礁資産問題や経営不振問題がある。座礁資産(Stranded Assets)とは、環境規制強化などにより将来使えなくなる石炭などの資産である。
現在、世界経済の低迷とともにコモディティ市場価格が低迷しており、現実的に世界中の化石燃料会社の経営は急激に悪化している。資産価値が大きく減少しており、破産する企業も出ている。例えば、米国の4大石炭会社の市場価値は2015年の間に9割減少し、米最大手のArch石炭会社は2016年1月に、世界最大の石炭会社Peabody Energyは2016年4月に、それぞれ連邦裁判所に破産申請した。同じ1月には米格付け会社のムーディーズが120の石油ガス会社と55の石炭会社の格付けを下方修正し、シンクタンクのMercerは石炭関連産業の利益は今後35年間で18〜74%(GHG排出経路に依存する)減少すると予測している。
監査法人のDeloitteも、2016年2月に世界の石油ガス会社の約3分の1が破産寸前にあるという報告書を出している。 ダイベストメントに関しては、カナダのシンクタンクであるCorporate Knightがその経済的な効果を定量的に評価するために「投資会社がもし仮に3年前に化石燃料会社からダイベストメントした場合の投資パフォーマンスの変化」を推定するプログラムを作っている。
これによると、例えば全米でも有数の資産を持つゲーツ財団の場合、もしダイベストメントを実施していたら19億ドルの追加的な運用利益を得ていたとされる[3]。
ケンブリッジ大学の持続可能な発展リーダーシップ研究所の研究も気候変動リスクの認識が株や債券などの投資ポートフォリオの価値を45%下落させる可能性があるとしている。実際に、2014年にカリフォルニアの年金ファンドは化石燃料会社に投資していたために50億ドル損失したとされる。
日本でもダイベストメントに関連した動きが見られるようになっている。例えば、350.org Japanという市民団体は、2016年2月11日、日本の銀行や保険会社による化石燃料会社や原発関連会社などへの具体的な投融資額を集計して公表した。これによると、東京三菱UFJ、みずほ、三井住友、三井住友信託を含む、日本のメガバンクグループによる2014年の化石燃料・国内石炭火力増設・原子力関連企業への投融資は合計で約5兆3892億円に上る。
また、日本の大手生命保険会社は、化石燃料および原発関連企業へ3兆3300億円の投融資を行っていた。 一方、日本の銀行グループの化石燃料への投融資額に対し、再生可能エネルギーへの投融資額は約 8分の1の規模であった。350.org Japanは、2016年4月22日に「ダイベストメント声明」を発表し、日本の銀行、保険会社、年金基金や公的機関を含むすべての機関投資家に、化石燃料及び原発関連企業への投融資の停止・撤退、自然エネルギー開発への転換などを求めて署名活動を行っている。
さらに、2016年4月14日、運用資産が100兆円を超える世界最大級の政府系ファンドであるノルウェー年金基金は、世界の石炭関連企業52社を基金の投資対象から外すと発表し、日本の投資先としては北海道電力、四国電力、沖縄電力の3社が除外された(朝日新聞2016年4月16日)。 ただし、投資における気候変動リスクに対する考慮の有無と投資パフォーマンスとの関係は単純ではない。現実的には、気候変動対策を目的としたダイベストメントがなくても、多くの投資資金が化石燃料関連からは撤退していたと考えられる。
化石燃料会社の経営不振も、シェールガスや短期的な景気変動の影響によるものだという主張もある。米国のCompass Lexeconというシンクタンクは、ダイベストメントが投資家に対して追加的な取引コスト発生などによってマイナスの利益を与えるという報告書を出している[4]。
この報告によると、南アフリカでのアパルトヘイト反対の際に発生したダイベストメントの際も、投資撤退が南アフリカの経済自体に大きな影響を与えなかった。さらに、ダイベストするのではなくて、アクティビスト投資家(物言う株主)となって経営などに直接的な影響力が持った方が良いという議論もある。
このようにダイベストメントの効果や影響に関しては様々な議論があり、現時点で単純な評価を下すのは注意が必要である。ただし、ダイベストメントの影響は経済的なものだけで測れるものではなく、まさにアパルトヘイト反対運動のように社会意識醸成や国内外での法律制定への影響など多層的かつ長期的な意味を持つ。もちろん株主への直接的・関節的な影響もある。今後は、そのような広角的な視点からの深い分析が期待される。
また、単なるダイベストメントではなく、撤退した資金を再生可能エネルギーや省エネの導入に投資(Investment)するようになれば、すなわち「ダイベストメント & インベストメント」という動きが加速すれば、低炭素社会に変革するための役割としての評価はより高まると思われる。