アジアの経済発展と人権保障―ミャンマーへの投資を考える


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人権と環境

環境の保全・保護そして改善は人々の権利、なかでも健康への権利、食糧への権利そして生命への権利を享受するために必須のものです。 誰もが健康で快適な環境の下で暮らす権利を有しています。

大気、水、土壌、生態系および生物相等の自然への負のインパクトは、人々の健康への権利、生命への権利に負のインパクトを与えることになります。 持続可能な環境への権利は、まさに人々の生きる権利であるといえます。

環境権は人権であり、環境問題は人権問題であります。 2012年11月ASEAN首脳会議で採択されたASEAN人権宣言においても、すべての人々が自身および家族が適切な生活水準を享受する権利を有すると規定され、 のなかに「安全な飲料水および衛生への権利」そして「安全で清浄で持続可能な環境への権利」が明記されています。

環境と人権について敷衍すると、たとえば天然資源の中でも水資源へのアクセスは人々が生活を営むうえで最低限の権利です。 工場における大量の地下水の汲み上げによって水源が枯渇したり、工場からの排水によって水質や土壌が汚染されたりすることは、 人々の安全な飲料水への権利を侵害することになります。

また資源開発事業において、対象地域の住民の生活や先住民が築いた文化への権利が侵害される可能性もあります。 とくに鉱山開発や石油・エネルギー事業開発などバリュー・チェーンの上流に位置する経済活動においては環境破壊によって人々の権利への負のインパクトが深刻になりがちです。

また発電所や港湾、幹線道路の建設などのインフラ開発事業においても、対象地域の環境の変化や住民移転によって人々の権利が侵害される問題があります。 本稿は、新たな企業進出先として注目されるミャンマーを例として、アジアにおける経済発展と人権保障、そしてこれからの投資活動のあり方について考察します。

筆者:ECOLOGライター(山田 美和)
(この記事は弊社発行媒体「環境パートナーズ(2014年6月号)」より再編集して掲載しています。)

 

新興市場と人権問題

中小企業を含む日本企業のアジアにおける海外事業展開が活発化する中で、社会・環境要因の事業上のリスクとして浮上しているのはまさに人権の問題です。

たとえば、2012年に中国江蘇省における日本の製紙会社の工場は地元政府の許可を得て排水管工事を計画、 しかし汚染水が排出されることにより生活環境が脅かされると危惧する住民の反発が広がり大規模なデモとなりました。

またフィリピンでは、日本の企業が開発するニッケル鉱山およびニッケル精製工場周辺の河川や海域において規制値を上回る六価クロムが検出されたとNGOから指摘を受けました。

このようなアジアにおける操業をめぐる人権問題に加え、 商品がどのように生産・流通されてきたのかというサプライ・チェーン全般に対する先進国市場の消費者および投資家の関心も高まっています。

新興国における事業展開において環境問題、労働者問題、開発に伴う強制移転、紛争鉱物問題などのリスクが高いのは、新興国では人権を保障する制度がいまだ不十分であるからです。 本来であれば労働者の権利を保護するための労働法規、 人々の生活の権利を守り侵害しないための環境規制や安全基準、住民の土地や住居への権利を考慮した土地収用に関する法規や手続きなどが未整備です。

たとえ法規定があっても法執行官の人材不足、キャパシティ不足、はたまた腐敗や癒着のために法の執行性が非常に弱いからです。

国際的人権基準と各国の国内法規定とのギャップこそが人権侵害の温床であり、日本企業にとっては進出先の国の法律を遵守するだけではリスクを回避できません。 人権保護の義務を果たすことができる国家(先進国)と果たせない国家(新興国や途上国)でのビジネス展開では当然後者でリスクが高く、これに伴う企業の責任はより大きくなります。

 

ミャンマーへの投資と人権と環境破壊

2011年に軍政から民政移管したとされるミャンマーは、翌年春の補欠選挙でアウンサンスーチーNLD(国民民主連盟)党首が国会議員になったことにより、 民主化への着実な一歩を踏み出したと評価され、新たなビジネス展開が期待される国として注目されています。

アジア開発銀行のイニシアティヴによる大メコン圏経済協力プログラムの重点事業として開発されてきた東西・南北・南部経済回廊のうち、 これまでミッシング・リンクと呼ばれてきたミャンマーが繋がることで、生産拠点、市場さらにはインドにも続く物流ルートとしてますます日系企業の注目を集めています。

これまでの経済開発の遅れを一気に取り戻さんとするミャンマー政府、そこに新たな支援と投資の対象としてビジネス・チャンスを求める開発機関や企業によって、 急激な外資の流入と資源開発、急ピッチで進む交通等インフラ整備や経済開発が目白押しです。

2012年4月日本政府とミャンマー政府は 「ティラワ・マスター・プラン策定のための協力に関する意図表明覚書」を結び、同年12月には「ティラワ開発に関する協力覚書」を締結、 ヤンゴン市街地から南東に下ったティラワに経済特別区として約2,400haにおよぶ工業団地、商業施設、 住居区域などを整備する総合開発プロジェクトを官民あげて推進しようとしています。

長い間軍政によって人々が抑圧されてきたミャンマーについては、1992年以来「ミャンマーの人権状況に関する特別報告者」が任命され、 ミャンマーにおける人権状況を国連人権理事会に報告してきました。 これまでに、令状なしの拘束、裁判なしの刑の執行、言論の自由の制限、強制労働、児童労働、少数民族への迫害など数々の人権侵害が報告されてきました。

4代目のミャンマーの人権状況に関する特別報告者トーマス・キンタナ氏は、ミャンマーが現政権になって4度目となる人権状況に関する調査を2013年2月に行いましたが、 同氏はミャンマーへの視察に先立って来日し、外務省、経済産業省、JICA、NGOを訪問し、意見交換を行いました。

なぜミャンマーの人権状況に関する特別報告者が日本を訪れ、関係者との意見交換を求めたのでしょうか。 それは、日本からミャンマーへのこれから見込まれるODAや投資がその規模と金額の大きさゆえに注1)、 ミャンマーの人権に及ぼすインパクトをキンタナ特別報告者は憂慮しているからです。

つい2年あまり前まで軍政下にあり日本からの支援は限られ、民間投資も微々たる状況であった頃には想像もできなかった現在のミャンマーで憂慮されるのは、 ミャンマー政府による人権侵害のみならず日本からの支援や投資が与えるかもしれない負のインパクトなのです。

そして、2013年3月に人権理事会に提出された報告書は、「経済的、社会的および文化的権利に関しては、 ミャンマー政府の社会経済開発および経済成長を推進する努力を認めつつその開発や成長がミャンマーの人々の人権を侵害するものであってはならず、 人権を尊重し伸長するものでなければならない」と述べています。

続けて特別報告者は、「投資の流れおよび経済活動や市場の開放がミャンマーの人々の人権の実現を確かなものにするために、 今こそ開発に向けて人権を基底とするアプローチをとるべきである」と強調しています。

ミャンマーにおける現在進行中の経済開発について特別報告者が特記しているのは、 ミャンマー各地において土地や住居に関する権利が侵害されているという報告や申立てが増加していることです。 とくにインフラプロジェクトや資源開発のために対象地を更地にしようとする土地の没収が増加しており、なかには治安部隊、警察、 地元政府や民間業者による関与や共謀も報告されています。

注目すべきは、 ミャンマー国内人権委員会およびアウンサンスーチー氏を委員長とする議会内「法の支配」委員会が受理する苦情や不服の申立ての過半数は、 土地をめぐる争いや収用に関するものであるということです。

「各地で農民や市民社会の活動家が土地収用に対して抗議している。農民は多くの場合、土地に対する権利を証明する文書を持たず、 退去を拒めば嫌がらせを受け逮捕されている」と報告されています。

これらの問題点を指摘したうえで、特別報告者はミャンマー政府に対して、政府自身が国際人権規約にある基本的人権および労働基準の実現を保障すること、 そして民間企業との投資契約の形成や交渉において、『ビジネスと人権に関する国連指導原則』を執行することを強く推奨しています。

「経済的、社会的および文化的権利に関してミャンマー政府は、人権に基づいたアプローチを適用し、『ビジネスと人権に関する国連指導原則』 を実行することによって人権を国家開発政策に統合するべきである。 開発プロジェクトに先立つインパクト評価、影響を受ける人々および地域住民との協議、適切な賠償と補償、土地の保有に関する法的保障の付与などによって、 土地および住居に関する権利を保障すべきである」と強く勧告しています。

ミャンマーの人権に関する特別報告者の報告において、『ビジネスと人権に関する国連指導原則』の実行が勧告されたのは今回が初めてです。 現在のミャンマーの人々の権利に対しビジネスがもたらすインパクトの大きさ、すなわち人権とビジネスの関係の重要性がハイライトされているといえるでしょう。

 

『ビジネスと人権に関する国連指導原則』(ラギーフレームワーク)

2008年国連人権理事会は国連「保護、尊重および救済:ビジネスと人権のための枠組み」を満場一致で歓迎しました。 この枠組みを作り上げた国連事務総長特別代表ジョン・ラギーの名から「ラギー・フレームワーク」と呼ばれています。 この枠組みを実行可能にすべく、『ビジネスと人権に関する国連指導原則』が作成され、2011年3月国連人権理事会で承認されました。

ビジネスと人権やCSRに関して、国連グローバル・コンパクトやISO26000などさまざまな取組みがあるなかで、 同原則の重要性は国連の名を冠し国家代表によって承認された企業ガイダンスであること、各国政府、企業や業界団体、市民社会や労働者組合、国内人権機関、 投資家など多様なステークホルダーからの支持を得たことにあります。

同原則では人権を保護する義務は第一義的に国家にあるものの、操業する企業は人権を尊重する責任があることを明示しています。 同原則は、企業活動に関するさまざまな国際的基準の作成や改定に影響を与え、企業のCSRのあり方を問う国際的議論の支柱となっています。

たとえば、OECD多国籍企業行動指針は2011年5月に新たに「人権」の章を加え、指導原則に沿った規定を設けています。 人権を尊重する企業の責任とは何か、いかにしてその責任を果たすべきでしょうか。同原則は、第一に国家が果たすべき人権保護義務を明示し、 第二に人権を尊重する企業の責任について14の原則(原則11から24)を規定し、第三に侵害された人権の救済について規定しています。

人権を尊重する企業責任の原則について、以下にその一部を抜粋します注4)。 人権を尊重する責任は、事業を行う地域にかかわらずすべての企業に期待されるグローバル行動基準です。 その責任は、国内法の規定によって定義される法的責任や執行の問題とは区別され、人権保護に関する国内法の遵守を超えるものです。

企業は、他者による人権への負のインパクトに法的に加担の責任はない場合でも、他者が犯した侵害から利益を得ていると見られる場合は、 その当事者の行為に「加担して」いると受け取られる可能性があります。 人権デュー・ディリジェンスを適切に行うことは、人権侵害への関与を回避するために合理的に取り得る手段をすべて講じてきたことを示すことになりますから、 自社の訴訟リスクに対処する助けとなるはずです。

人権へのインパクトを評価するプロセスは、リスク評価や環境・社会影響評価など他のプロセスのなかに組み込むことができる一方で、 このプロセスは国際的に認められた人権のすべてについて評価する必要があります。 なぜならば、企業は実質上いずれの人権に対してもインパクトを与える可能性を持っているからです。

 

日本がはたすべき人権尊重の責任

ミャンマーの憲法に規定された人々の基本的権利は、国際的基準に比べ限定されたものでしかありません。 環境規制は未整備であり、住民との対話を通してコンセンサスを形成するという手続規定も政策もありません。 政府が早急な経済開発に力を置きすぎ、国民不在の政策が巻き起こす多くの問題が起きているのです。

このように人権保障制度が不十分の途上国や新興国への開発支援・投資で求められるのは、法規制の遵守を超えて人権を尊重する企業としての責任なのです。 日本は高度経済成長期の公害を経験し、環境問題を高技術によって克服してきた経験を有します。

環境・社会配慮という言葉はすでに定着しており、経営方針に取り入れガイドラインを作成・実行している日本の企業や組織はたくさんあります。 環境・社会配慮の基底には人権の尊重があるのですから、『ビジネスと人権に関する国連指導原則』を活用して、 新興国や途上国における人権課題と企業に求められている責任についてさらなる理解とコミットメントが求められています。

日本企業は操業リスク管理としてのみならず、競争力を維持し、高め、長期的価値を追及するために、人権尊重を企業活動の中に取り込んでいくことが求められているのです。

また日本政府はCSR支援政策などを通じてこれを後押しすることが望まれます。 これまで自国の軍政によって抑圧されてきたミャンマーの人々の人権が外国からの支援や投資によってさらに踏みにじられるようなことがあってはなりません。 国際社会にはミャンマーの人々の人権を尊重する責任があります。

とくに日本政府および日本企業にその責任があることは、 「ミャンマーの人権状況に関する特別報告者」の来日が明らかにしています。

―参考― 山田美和、「アウンサンスーチーのマハーチャイ訪問が意味すること―ミャンマーの発展と移民労働者問題」、アジ研ワールド・トレンド、No.203、2012年8月号 山田美和、「メコン地域における人身取引問題」、『アジ研ワールド・トレンド』、No.198、2012年3月号

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