まとめると
中国における環境NGOの現状、そして若者たちから見る環境NGOへの就職とは?という内容について記載しています。

筆者:ECOLOGライター(相川 泰)
(この記事は弊社発行媒体「日中環境産業 (2013年11月号)」より再編集して掲載しています。)


政治情勢の民間交流への影響

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尖閣諸島をめぐる中国における反日行動、および日中関係の悪化は、両国が関わる環境NGOの交流にも影響を及ぼしている。そうでなくても中国の場合、国内・国際を問わない政治情勢が民間交流に影響を及ぼす度合いが高い。今回の場合、日中関係は、国交正常化以降最悪、あるいは戦後最悪ともいわれている。

個人的にも、2005年や2010年の反日デモのときにも何も言ってこなかった、北京出身・在住の中国人の友人がわざわざ「今は予定があっても当面、中国に来ない方がいいよ」と電話をしてきたことで、その緊張感の一端を知らされた。

こうした現状において、筆者の知る複数の交流予定が、あくまでも中止ではなく無期延期で済んでいるのは――それが継続し最終的には実施されるところまで見届ける必要があるが――むしろ肯定的にとらえるべきなのかも知れないとすら思える。

筆者が直接的に関係している国際会議の場合、まず3月中旬時点で今秋に重慶で開催する方針が伝えられた。それが、重慶市の幹部であった薄熙来が失脚した事件によって開催地を再検討する必要が生じてしまい、ようやく9月に入って新たな開催地と11月初旬の日程が伝えられたところであった。その矢先に反日行動が激化し、開催地の行政府から当面、開催に同意できないとの旨の連絡が入ったまま現在(10月中旬)に至っている。もっとも、他方で11月中下旬に予定している訪中交流で、これまでのところ中止や延期という話になっていないものもある。

地域差その他の要因で違いが生じるのだろうと推測はできるが、個別事例ごとに状況が大きく異なり、その理由が明確にはわからないというのは、中国ではめずらしいことではない。

実のところ、この間、筆者と直接の関係がない交流の状態までは必ずしも十分に視野に入れる余力を持てずにきている。ただ、民間交流、とりわけ環境NGOの交流は、目下の情勢においては、予定どおりの実施、中止、延期しての実施のいずれになっても不思議ではない。当面、個別事例の顛末の把握に努め、ある程度まとまった時点でまた報告したい。

 

 

若者たちにとっての環境NGO

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さて、前回、80後、90後といわれる若い世代の環境意識が高まるとともに、彼らがすでに環境NGOのかなり中心的な担い手になり、また今後もそうした状態が続きそうな見通しであることを示した。では、そうした若者たちにとって、環境NGOとはどういう存在なのであろうか。

今の若い世代、とくに学生時代から環境NGOに接する機会があり、その活動に参加してくる人たちにとっては、環境NGOは所与の存在、つまり、何の不思議もなく当然のものとして存在するものである。外からみて中国に環境NGOが存在するのが意外だとか、1990年代以来、長らく中国の環境NGOが大きな社会的影響力を持ってこなかったとかいう事情は、今の中国の若者とは無関係である。彼らからみれば、中国の環境NGO、とりわけ草の根のものは、政府に一方的に服従することなく、独自の調査能力と広報力を持っている。

また、平時にも政府を含む社会の環境意識を高め、突発的な環境破壊や隠されていた環境問題の実態に対しては率先して警鐘を鳴らし問題を提起する。それに最初に触れたのが幼少期から大学進学以降まで年齢の差はあるにせよ、いずれにしても彼らのほとんどは、すでに確立されたものとして中国の環境NGOに出会っている。

中には、環境NGOを通して環境意識が確立された人までいる。その場合に、その環境意識において環境NGOが限りなく絶対的な存在に見えていたとしても不思議はない。より一般的に、この世代の高い環境意識を持つ人は、先行する環境NGOに参加したり、せいぜいそれをモデルとして新しい環境NGOを組織したりする程度の労力で、その意識にふさわしい活動に、同じ意識を持っているだろう仲間と取り組むことができる。

その労力は、環境NGOという言葉もそのような組織や活動の仕方があり得ることも知らないところから出発し、試行錯誤の末に中国社会で存続しうる環境NGO活動の姿を作り出してきた、より上の世代が費やした労力に比べはるかに小さい。

 

 

 

「普通」になった環境NGOへの就職

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もっとも、「同じ意識を持っているだろう仲間」の環境意識の高さを、十分に保証することが難しい状況も、同時に存在してしまっている。それは、環境NGO(だけでなく他分野も含めNGO)が、就職や転職を希望する若者にとって、キャリアアップの一手段、あるいは複数あるうちの選択肢の一つになってきているからだ。

とくに近年、大学進学率の上昇とともに卒業しても就職できない学生が増加している。そうした中、いわゆる「でもしか」で環境NGOに就職する若者もいる。こうしたことは、すべてではないにせよ環境NGOの事務室で、「何でここにいるの?」と聞きたくなるような、あるいは、ほかに居場所がなかったのか疑問になるような人物を見かけることがある、大きな要因と考えられる。

上記は両極端であるが、環境NGOが以前ほど特別な存在でなくなっていることは、それだけそこへの就職もまた特別なことではなくなっていることを意味する。それは、以前ほど身構えたり悲壮な決意を持ったりして就職する人が減ったともいえるし、裏返しとして、十分な信念や覚悟も持たないまま就職する人が増えたともいえる。良くも悪くも「普通」に就職する人が増えているということである。

上記のことは、環境NGOの側からすれば、入ってくる人材が玉石混交になっていることを示す。しかも、どうやら「玉」すなわち有為の人材より、「石」すなわち有為とはいえない人員の方が多くなりやすく、増えやすいという、ありがちな実情に陥っているようなのである。

前回、環境NGOのスタッフの多くが有期雇用契約になっている事実とともに、その事情や理由は不明と記した。もっとも、有為の人材を短期で手放すリスクを冒しても、そうとはいえない人員を抱え込むリスクを減らすため、と考えれば、それほど不合理なことではないともいえる。ただ、長期的には、優位な人材を集まりにくくしてしまい悪循環に陥ることが危惧される。

 

 

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